私は、毎晩
「ごめんね。ゆるしてね。ありがとう。だいすき」を息子に言っています。
寝てしまった後に言うこともあります。
でも、これはきっと形だけになってしまっていて
それを言う「ありかた」になっていなかったのは、感じていました。
これを、言葉でなく、本当に実感して、味わって言えるようになりました。
ごめんね、で、涙がでてきます。
「ごめんね、悪いママだね」と泣きながらつぶやいたら
息子は「うれしいママ」と言いました。
私は息子の発言を
「息子にとってママは嬉しい存在だ」という風に捉えて
「ありがとう」とまた泣いていたら
もういちど「うれしいママ」と言いました。
ママが嬉しいのかな?ミートが嬉しいのかな?と聞いたら
「ママが」と言いました。
私が?
そうなのかな。
そうなのかもしれない。
息子の前で、素直にごめんなさいと泣ける自分が、どこかで嬉しいのかもしれない。
そんなことを思いながら寝ました。
「ごめんね。ゆるしてね。ありがとう。だいすき」を息子に言っています。
寝てしまった後に言うこともあります。
でも、これはきっと形だけになってしまっていて
それを言う「ありかた」になっていなかったのは、感じていました。
これを、言葉でなく、本当に実感して、味わって言えるようになりました。
ごめんね、で、涙がでてきます。
「ごめんね、悪いママだね」と泣きながらつぶやいたら
息子は「うれしいママ」と言いました。
私は息子の発言を
「息子にとってママは嬉しい存在だ」という風に捉えて
「ありがとう」とまた泣いていたら
もういちど「うれしいママ」と言いました。
ママが嬉しいのかな?ミートが嬉しいのかな?と聞いたら
「ママが」と言いました。
私が?
そうなのかな。
そうなのかもしれない。
息子の前で、素直にごめんなさいと泣ける自分が、どこかで嬉しいのかもしれない。
そんなことを思いながら寝ました。
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